みそっちのソウル通信
韓国の旅、名跡を訪ねて・・
国立慶州博物館の首のない仏像
https://ninoq.hatenablog.com/entry/2020/11/07/103000 より
神仏を崇める日本では、仏像まで毀損させることは殆んどないが・・アノ国では・・
[土曜ミーナ]新羅の都が置かれていた慶州には朝鮮時代以前の文化や遺跡が数多く残っている、これらを収集し保存したのは日帝の仕業だった。
いわゆる高麗・新羅以降の朝鮮時代の抑佛政策または排仏政策と呼ばれる仏教弾圧は、既存勢力の解体を目的としたものではあったが、そこに宗教的対立があったわけではなく、単に過去の王朝のやっていたことを全否定する目的で行われたのである。
国立慶州博物館には首のない石仏が屋外展示されている。1965年、慶州芬皇寺の発掘で裏庭の穴から首の無い石仏が大量に発見された。これらは新羅時代のものと推定される。そして埋められたのは朝鮮王3代目太宗のころとされている。
首が無いのだから、そこには信仰もなく寺院と呼べるものは日帝が保護に乗り出すまでは廃墟でしかなかった。 ※慶州芬皇寺は慶州博物館から2㎞程離れたところにある。
日帝時代に発見されなかった石仏ばかりを並べては、引率の学芸員が誇らしげに「私たちが発掘したものです」「このようにヒデヨシの軍勢によってすべての仏像の首が折られています」と解説しているのは韓国人あるあるである
実はこれらの所業はすべて朝鮮時代の仏教弾圧により、仏像の首はすべて叩き折られたものなのである。 場所は ココ ⇒ 国立慶州博物館
まるでノーベル賞受賞を待つ銅像の台座のような展示は国立慶州博物館の美術品館東側に並んでいる。ちょっと見えている5重の石塔は現在3層で復元されている。
見て来い‼
現地360°ビュー http://naver.me/Ff4tuUrE
まさか博物館までやってきて、建物のまわりを一周するような観覧客はいないだろうと見越したかのような首のない仏像の展示には、当時の韓国国内の仏教団体も内紛に忙しく関心を示さなかったという。
見渡す限り首のない石仏が並ぶ様子は観覧者を圧倒する。しかし実は館内の展示されている石仏を含めても首のない石仏は20体あまりしか無いそうだ。
※慶州博物館は2008年から入場無料となっている
国立慶州博物館は1975年に現在の位置に開館している、それ以前の収蔵品は日帝が大正期に作った慶州遺物陳列館に保管されていた。そして大量の石仏群が発見されたのは1965年に行われた近隣の発掘調査だったという。
おそらくは大きな木づちなどで横からコツンとやったと見られている
実はこれらの石仏の発見の経緯は記録されていない。現在わかることは1965年に発掘されたという事実だけであり、埋められていた状況や、ほかに一緒に遺棄されていたものがあったか、などの状況はすべて不明だ。いわゆる「記録を残さない民族」としての韓国人らしさがそこにある。
これらの石仏は極彩色でペイントされ金泥で豪華にしつらえられていたと主張する研究者も多い。
屋外展示の胴体には、その名称や解説などが全くない。解説板にはヒデヨシの軍勢がどうのこうのと書かれていた。
建物の裏側に放置された石仏に見せる無関心さも、韓国人らしさのひとつである。
そして、館内に展示されている首から下の無い仏像の頭部
まるで、朝鮮では首から上だけが信仰の対象であったかのような集中展示のようす。
부처 부살 などと書かれている 仏頂 訃殺のようにも読める これがハングルだ。
慶州には瞻星台というものもある。博物館とは徒歩15分くらいの距離になる。この一帯は月城と呼ばれている。韓国で厄介者扱いされている月城原発のなまえの由来である。
慶州古代の天文台・・「瞻星台」
2017年、慶州を旅行中の酔っぱらった女子大生(27~29歳)ら3人が瞻星台によじ登って記念撮影をしたところ、警察が現れて御用となった。
刑札では事情を聴いた後、旅行を続けるように言うとその晩のうちに釈放した。警察には当時の事情聴取した記録が残っておらず、女子大生の所属や名前も一切わからないという。
関連過去カキコ:瞻星台に登った女子大生
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