泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2020年08月

「日清戦争」「日露戦争」双方ともに、朝鮮半島を巡っての清国からの蹂躙、ロシアからの蹂躙が原因で日本への脅威も考え、義侠心をもって朝鮮の独立と富強のために開戦となったのです。日清戦争後、下関条約により「大韓帝国」として独立したもののロシアが韓国政治の中枢に触手を伸ばしてきたのです。

【日露戦役・・年表】                                                                                       

1904年2月6日       日本が、ロシアに対して最後通牒を発令。

1904年2月8日       日本陸軍先遣隊が仁川に上陸

1904年2月8日       日本海軍、旅順港外のロシア艦隊を夜襲

1904年2月9日       仁川沖海戦

1904年2月10日      相互宣戦布告

1904年2月24日      第一次旅順口閉塞作戦

1904年3月27日      第二次旅順口閉塞作戦

1904年5月1日       鴨緑江会戦

1904年5月8日       日本軍、遼東半島に上陸開始

1904年8月10日      黄海海戦

1904年8月22日      大韓帝国と第一次日韓協約を結ぶ

1904年8月14日      蔚山沖海戦

1904年8月19日      第一回旅順総攻撃

1904年8月30日      遼陽会戦

1904年10月9日      沙河会戦

1904年10月15日    バルチック艦隊出航

1904年11月26日    第二回旅順総攻撃

1904年12月5日      日本軍、旅順口203高地を占領

1904年12月31日    第三回旅順総攻撃

1905年1月2日       旅順開城

1905年1月25日      黒溝台会戦

1905年3月1日       奉天会戦

1905年5月27日      日本海海戦

1905年6月9日       セオドア・ルーズベルト、正式に日露両国へ講和勧告

1905年6月12日      ロシア、講和勧告を正式に受諾

1905年7月7日       日本軍、樺太へ上陸(樺太作戦開始)

1905年7月31日      日本軍、樺太を占領

1905年8月9日       ポーツマスで日露講和会議が始まる

1905年9月1日       日露両国、休戦議定書に調印(休戦)

1905年9月5日       日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)調印

1905年10月14日    日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)批准 [終戦]


1904年2月9日       仁川沖海戦

(((1ロシア仁川沖


(((1Variagr仁川沖海戦で炎上するロシア艦右がヴァリャーグ_1904

(((ロシア艦1413


(((停泊中のヴァリャーグVaryag_1904



((を救出した仏の巡洋艦「パスカル」

(((引き揚げられたヴァリャーグVaryag1905
仁川沖海戦の後、ロシア戦艦「ヴァリャーグ」の残骸

(((自爆するコレーエツ1

(((自爆するコレーエツ


((((日本海軍兵


(((戦艦「ミカサ」に乗船した日本海兵隊
戦艦「三笠」甲板で訓練中の日本軍海兵


((自信過剰な戦前のロシアの漫画


1904年8月   遼陽会戦   1905年3月  奉天会戦

(((大山巌将軍と兵士history-002

((((日本の歩兵

((正面に向かう米と茶の軍隊の正午の和み


(((日本軍進軍754


((((ロシアから捕獲された砲

((((日本兵は、捕獲されたロシアの野砲を最前線に送
((((第1軍_戦利品

((((奉天の戦い(1905)

((奉天戦大山巌将軍-003

((((R炎の奉天をロシア軍が放棄逃亡す
炎の迫る奉天をロシア軍が放棄逃亡す

(((大山奉天入城05
大山巌将軍の奉天入城

((((奉天会戦後に点呼をとる日本軍第一師団
奉天会戦後に点呼をとる日本軍第一師団

((日本の兵士
奉天会戦後に点呼をとる日本軍第一師団

(((遼陽の戦いの後、勝利した大山
遼陽の戦いの後、勝利した大山将軍

((中国救援隊に任務中の日本人歩兵
救援隊に任務中の日本軍歩兵

((中国救援隊に勤務する日本軍砲兵隊-SC-
救援隊に任務する日本軍砲兵隊

(((明治軍装
救援隊に任務する日本軍


((IMG_320a1

コロナ感染者【移動平均】で傾向を掴め・・
東京は今も正念場!・・・第2波真っ只中、1日当り240人ペースの天井圏です・・



「日清戦争」「日露戦争」双方ともに、朝鮮半島を巡っての清国からの蹂躙、ロシアからの蹂躙が原因で日本への脅威も考え、義侠心をもって朝鮮の独立と富強のために開戦となったのです。日清戦争後、下関条約により「大韓帝国」として独立したもののロシアが韓国政治の中枢に触手を伸ばしてきたのです。

【日露戦役・・年表】                                                                                       

1904年2月6日       日本が、ロシアに対して最後通牒を発令。

1904年2月8日       日本陸軍先遣隊が仁川に上陸

1904年2月8日       日本海軍、旅順港外のロシア艦隊を夜襲

1904年2月9日       仁川沖海戦

1904年2月10日      相互宣戦布告

1904年2月24日      第一次旅順口閉塞作戦

1904年3月27日      第二次旅順口閉塞作戦

1904年5月1日       鴨緑江会戦

1904年5月8日       日本軍、遼東半島に上陸開始

1904年8月10日      黄海海戦

1904年8月22日      大韓帝国と第一次日韓協約を結ぶ

1904年8月14日      蔚山沖海戦

1904年8月19日      第一回旅順総攻撃

1904年8月30日      遼陽会戦

1904年10月9日      沙河会戦

1904年10月15日    バルチック艦隊出航

1904年11月26日    第二回旅順総攻撃

1904年12月5日      日本軍、旅順口203高地を占領

1904年12月31日    第三回旅順総攻撃

1905年1月2日       旅順開城

1905年1月25日      黒溝台会戦

1905年3月1日       奉天会戦

1905年5月27日      日本海海戦

1905年6月9日       セオドア・ルーズベルト、正式に日露両国へ講和勧告

1905年6月12日      ロシア、講和勧告を正式に受諾

1905年7月7日       日本軍、樺太へ上陸(樺太作戦開始)

1905年7月31日      日本軍、樺太を占領

1905年8月9日       ポーツマスで日露講和会議が始まる

1905年9月1日       日露両国、休戦議定書に調印(休戦)

1905年9月5日       日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)調印

1905年10月14日    日露両国、日露講和条約(ポーツマス条約)批准 [終戦]


((((第3軍 Fenghuang Hill.

鳳凰山の東南方高地に於ける第3軍司令官(乃木)一行の偵察


((((堡塁の占領

ロシア堡塁の占領




(((Rロシアが敗れた後、ポートアーサーの外の砦でロシアの兵士から

ロシアが降伏後、旅順郊外の砦でロシアの兵士から武装解除


((((旅順遠望_ナマコ山

ナマコ山から旅順遠望


((((第3軍慰霊祭

水師営東北方に於ける第3軍の慰霊祭


((((乃木第3軍ポートアーサーへ

旅順入城に向けて乃木第3軍司令官の出発



(((ポートアーサーの前-ロシアの砦

旅順近郊でのロシアの砦を捕獲した日本兵


(((ポートアーサーを占領する日本の兵士
旅順近郊でのロシアの砦を捕獲した日本兵



((((日露捕獲した敵銃器
              捕獲した敵銃器類と日本兵

(((エポート・アーサー近郊の野木将軍とそのスタッフの昼食04・12・4
旅順近郊での乃木将軍とそのスタッフの昼食  1904・12・4

(((エ日露戦争中に朝食を楽しむ野木将軍と将校
旅順近郊での乃木将軍とそのスタッフの昼食  1904124


((((第3軍_p12_134
第3軍司令官乃木・聯合艦隊司令官東郷及びその幕僚

(((日本兵が旅順陥落で
旅順陥落で日本兵と市民は歓喜した

(((順入城乃木連隊1905年4月2日
旅順市内へ入城する乃木聯隊  1905年4月2日

(((ポートアーサーの一般的なMaresuke軍隊4・2
旅順で第三軍を指揮する乃木希典陸軍大将・・  4月2日

(((エ旅順を奪った日本の指揮官
司令官室前の乃木希典将軍

(((エ旅順陥落後のキャンプでの日本軍乃木将軍1905年4月2日
旅順陥落労いの席での乃木将軍・・・

(((ポートアーサー降伏後の乃木希典4月2日
旅順で降伏後の敵将を労う乃木希典(右奥)  4月2日

(((野木将軍とそのスタッフ、ポートアーサーの征服者
乃木将軍とその部下たち

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