泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2020年03月

「日清戦争」「日露戦争」双方ともに、朝鮮半島を巡っての清国からの蹂躙、ロシアからの蹂躙が原因で日本への脅威も考え、義侠心をもって朝鮮の独立と富強のために開戦となったのです。日清戦争後、下関条約により「大韓帝国」として独立したもののロシアが韓国政治の中枢に触手を伸ばしてきたのです。

日露戦争に於いては、欧米から視察武官が監視に参加し欧米から特派員も視察して、日本では殆んど知られていない写真も残されておりました。
順次、ご紹介したいと思います。

【日清戦争(1894)から日露戦争(1904)への動向】

1894年(明治27年)2月・・朝鮮・全羅北道で大規模な農民蜂起「東学党の乱」が発生し、朝鮮政府は清国政府に援軍出動を要請、当然日本も出兵して、この東学党の乱は平定されたものの日清両軍は半島での残留を余儀なくされる。


1834年5月に「日清共同内政改革提案」を朝鮮政府に提出し、朝鮮政府はこの提案を認めたものの数日後に全面拒否の回答を出す。朝鮮の背後から拒否をさせたのは清国であった。日本は提案拒否を開戦の大義名分として明治27年8月1日開戦の詔勅が出された。


1895年(明治28年)4月17日、日本が清国に勝利、下関条約調印、遼東半島の割譲を受ける。

同年4月23日・・日本が割譲を受けた遼東半島が、露独仏の三国干渉に依り清国へ還付を余儀なくされた。 一方、朝鮮は自立が可能となったとはいえ清国の支配力は衰えたが、遼東半島の還付を見た朝鮮政府は「日本、恃むに足らず」とみてロシアに急接近、ロシアもこれを好機と見て影響力が着実に増大して行き、朝鮮国王の高宗をロシア公使館に移し、国王はロシア公使館から詔勅を発することとなり、ロシア公使館から摂政を行う事となる。朝鮮は清国に続いてロシアへの「事大主義」の道を選び、再び国家の体を為していないものとなった。   

一方、日本が清国に還付した遼東半島はロシアの租借地となり、日本が苦難の日清戦争で獲得した権益が次々とロシアの手に落ちて行った。

満洲を勢力下に置いたロシアは朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。ロシアは高宗を通じ、売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感(1861年(文久元年)にロシア軍艦による対馬占領事件があった為)を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。


1903年8月からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエブゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害されるおそれのある妥協案だとした。ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。

日本側では、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。またシベリア鉄道が全線開通すると、ヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるため、開通前の対露開戦へと国論が傾いた。そして1904年2月6日、日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。


1904年(明治37年)2月8日・・大日本帝国注釈は「ロシア帝国の南下政策による脅威を防ぎ、朝鮮半島を独占することで、大日本帝国の安全保障を堅持すること」を主目的とし「旅順口攻撃」を行い開戦した。

開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが、日本の安全保障上の脅威となったことを戦争動機に挙げている。

(((Nichirojp

(((52fd

((((位置に進出する日本軍-旅順包囲戦
前線に出動する日本軍・・旅順包囲戦

((((日本軍の攻城砲陣地
日本軍の攻城砲陣地
 
((((大連に於ける第2軍隊の大連到着
大連に於ける第2軍隊の到着

((((大連の日本補給船05
大連の日本補給船

((((砲弾輸送・道を作る
銃砲、砲弾輸送道を作る日本兵

((((軍路の開設
突貫中の運搬用軍路の開設


((((ポートアーサーに投げ込まれるのを待っ500ポンド
旅順要塞に投擲されるのを待っ500ポンド砲弾

((((第9師団、第4師団)戦闘準備完了-ポートアーサー包囲戦
(第9師団、第4師団)旅順包囲戦、戦闘準備完了

((((ポートアーサーの北西部を攻撃
旅順北西部のロシア軍に向けて砲撃開始

((((発砲する日本の砲台、旅順のロシア04年12月20日に占領
ロシア堡塁(要塞)に向けて砲撃する日本の砲台

((((ポートアーサーへの長い飛行を開始する
旅順への遠距離砲撃を開始する

((((東とさか_弾薬庫に命中
ロシア要塞、東鶏冠山堡塁の弾薬庫に命中

((((旅順_ 東キクワンヒルフォートで
東鶏冠山堡塁のロシア砲残骸

((((旅順Liao-Ti-Shan砦に対する日本の砲台。
旅順 Liao-Ti-Shan 砦に対する日本の砲台」

((((ポートアーサーで日本人が捕らえた武器
旅順周辺で日本軍が捕獲したロシア軍武器弾薬

((((日本軍は戦いの準備ができ1
小休止、日本軍は戦いの準備ができている

((((ポートアーサーの包囲中に日本軍がtrenchを築き
旅順包囲中の日本軍が高地の敵に対して陣地を整備

((((旅順周辺の必死の闘争
旅順周辺の必死の戦闘

((((203の死闘
203高地の決死の突撃

((((203決死の突撃戦
旅順203高地の突撃戦

((((ポートアーサーの戦い(1904)
旅順203高地の攻防戦

((((203cc6
  歩兵第25連隊将校団・・・203高地占領記念

【写真解説文】

我が連隊の、大連に上陸せるは、明治371120日。

203高地、東北角の占領せるは、同年125日。

北関、松樹山を白襷隊、赤城山攻撃、

203高地の累次戦争で、失える将兵千六百、故山の出でし三千。

認誅強句、日にして其客を失う・・・ 判読不詳の為、意味不明はご容赦・・)

(あぁ)!!今日、風霞む山領にて記念撮影する、将校の胸中や如何に。

((((4921

  ↑ 歩兵第25連隊・・203高地占領記念


((((日露oo8_500
203高地攻防戦が終わって・・

(((20-04-13 Google マップ
旅順市街と203高地(左〇印)

(((2004-13 Google マップ(1)
「爾霊山」(二〇三)の碑 
203高地山頂-明治39年建之


((((勝利の代償ー日本軍203高地死者の一部
勝利の代償・・日本軍 203高地での戦死者の一部(合掌)

((((旅順郊外太鼓山
旅順郊外太鼓山砦の占領(眼下に野営テント)


((((Rシベリア予備軍は、1904年8月203高地ルの丘を防衛する
ロシア・シベリア予備軍は、1904年8月203高地を防衛

((((Rロシア軍、ポートアーサーに入る
補強のロシア軍、旅順に入る

((((R旅順攻囲戦での塹壕内のロシア兵
旅順攻囲戦での塹壕内のロシア兵

((((Rロシア旅順16804
陣地のロシア兵

((((旅順_ペイトウのロシアの展望台
旅順・北斗山頂・ロシア軍の監視所


((((R3番目の要塞に移動する予備-port-arthur
旅順第3の要塞に移動するロシア兵

((((Rポートアーサー郊外のロシアの野営地
旅順郊外、ロシア軍の野営地

((((Rロシア砲台北を見る-ポートアーサー
ロシア砲台は旅順の裏側から攻める日本軍を睨む

((((R損傷を受けたレストランで食事45
被弾損傷を受けたレストランで食事するロシア軍

(((R司祭oo3_500
旅順で倒れたロシア軍の遺体を祈る司祭(合掌)

(((R司祭と兵士が満州のポートアーサーの丘に埋葬
旅順で倒れたロシア軍の遺体を祈る司祭(合掌)

(((R司祭アーサーで倒れたロシア軍の遺体を祈る司祭
司祭とロシア兵士が満州のポートアーサーの丘に戦死者埋葬(合掌)

(((Rポートアーサー郊外の埋葬を待つロシアの死者
旅順郊外で埋葬を待つロシア兵の戦死者(合掌)

((((R1904年2月旅順戦いの後、倒れたロシア兵
1904年2月・・旅順戦いの後、倒れたロシア兵(合掌)



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「日清戦争」「日露戦争」双方ともに、朝鮮半島を巡っての清国からの蹂躙、ロシアからの蹂躙が原因で日本への脅威も考え、義侠心をもって朝鮮の独立と富強のために開戦となったのです。日清戦争後、下関条約により「大韓帝国」として独立したもののロシアが韓国政治の中枢に触手を伸ばしてきたのです。

日露戦争に於いては、欧米から視察武官が監視に参加し欧米から特派員も視察して、日本では殆んど知られていない写真も残されておりました。
順次、ご紹介したいと思います。

【日清戦争(1894)から日露戦争(1904)への動向】

1894年(明治27年)2・・朝鮮・全羅北道で大規模な農民蜂起「東学党の乱」が発生し、朝鮮政府は清国政府に援軍出動を要請、当然日本も出兵して、この東学党の乱は平定されたものの日清両軍は半島での残留を余儀なくされる。


18345に「日清共同内政改革提案」を朝鮮政府に提出し、朝鮮政府はこの提案を認めたものの数日後に全面拒否の回答を出す。朝鮮の背後から拒否をさせたのは清国であった。日本は提案拒否を開戦の大義名分として明治2781日開戦の詔勅が出された。


1895年(明治28年)417日、日本が清国に勝利、下関条約調印、遼東半島の割譲を受ける。

同年4月23日・・日本が割譲を受けた遼東半島が、露独仏の三国干渉に依り清国へ還付を余儀なくされた。 一方、朝鮮は自立が可能となったとはいえ清国の支配力は衰えたが、遼東半島の還付を見た朝鮮政府は「日本、恃むに足らず」とみてロシアに急接近、ロシアもこれを好機と見て影響力が着実に増大して行き、朝鮮国王の高宗をロシア公使館に移し、国王はロシア公使館から詔勅を発することとなり、ロシア公使館から摂政を行う事となる。朝鮮は清国に続いてロシアへの「事大主義」の道を選び、再び国家の体を為していないものとなった。   

一方、日本が清国に還付した遼東半島はロシアの租借地となり、日本が苦難の日清戦争で獲得した権益が次々とロシアの手に落ちて行った。

満洲を勢力下に置いたロシアは朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。ロシアは高宗を通じ、売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感1861年(文久元年)にロシア軍艦による対馬占領事件があった為)を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。


19038からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエブゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害されるおそれのある妥協案だとした。ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。

日本側では、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。またシベリア鉄道が全線開通すると、ヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるため、開通前の対露開戦へと国論が傾いた。そして190426日、日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。


1904年(明治37年)28日・・大日本帝国注釈は「ロシア帝国の南下政策による脅威を防ぎ、朝鮮半島を独占することで、大日本帝国の安全保障を堅持すること」を主目的とし「旅順口攻撃」を行い開戦した。

開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが、日本の安全保障上の脅威となったことを戦争動機に挙げている。

(((Nichirojp

((((ロシア騎兵隊からの攻撃に備えテリン近くで
テリン近くでロシア騎兵隊からの攻撃に備える

((((R1904年行動に向かう前にコサック
前線に向かおうとする露軍・コサック隊

((((R満州:ロシア騎兵隊(コサック)のパレード
ロシア騎兵隊(コサック)の容姿

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露軍コサック騎兵の休憩

((R遼陽でロシア援軍到着
遼陽へ
到着したロシア軍の援軍

((((日本兵は1904年から5年頃の浅いtrenchの後ろに隠
日本兵は浅い陣地の後ろに隠れ体制をとる

((((遼陽の戦い。 黒木日本軍将官と藤井重太参謀長
遼陽の戦い・・ 黒木日本軍将軍(左)と藤井重太参謀長(中)の指揮

((((満州の日本軍砲兵隊
満州での日本軍砲兵隊

((((平陽での日本騎兵隊の偵察-1904
平陽での日本騎兵隊の偵察

((((日本兵が野砲を所定の位置に
日本兵が野砲を所定の位置に・・

((((日本兵は緊密な陣形をとる
日本兵は緊密な陣形をとる・・

((((指揮中の第16連隊の馬場大佐
指揮中の第16連隊の馬場大佐

((((日本軍が機関銃を配属
日本軍が機関銃を配置

((((電話で状況を報告する日本の兵士
電話で状況を報告する日本の兵士

((((日露戦争中の
現地人が建てたか「死為護国」の前で・・日本軍将校

((((日本軍の参謀長山口将軍
日本軍の参謀長山口将軍

((((日露戦争中にライフルを掲げて編隊と戦い
銃を構えて突撃編隊の体制

((((沙保の劇場での日本の野外kitchen
沙保の前線での日本軍の野外昼食

((((遼陽 Battle of Liaojang (1904)
日露・・遼陽に至る会戦

((((74346ab
遼陽・首山堡の決戦

(((( 陸軍恤兵部 武勇 軍神橘中佐 首山堡
首山堡の戦いに激戦壮烈の最期を遂げた軍神橘中佐は機に臨んで
沈着冷静、克く大勇の実を示した。


((((橘4296((((橘b50
  歩兵第34連隊第1大隊長 橘 周太中佐       橘 周太中佐

(((( 嗚呼 橘中佐
軍歌『 嗚呼 橘中佐 』の一節

(((( 橘中佐関谷大佐戦死地 橘山遠望 忠 -
首山堡(橘山)の遠望・・遼陽駅の8km南方にあり、日露戦役に第二軍の奮戦せし処。
橘中佐、関谷大佐の戦死した地なり。忠魂碑には1万3千の英霊を祀る。


((((日本人による名誉の儀式s
日本兵一同による名誉ある慰霊式

((((死んだ日本人s
塹壕で戦死した日本兵(合掌)

(((Liao-Yangで日本人とロシア人の死者を共に葬る日本兵
Liao-Yangで日本人とロシア人の戦死者を共に葬る日本兵
(合掌)

((((R陥没道路でロシアの死者
陥没塹壕でロシア軍の戦死者
(合掌)

((((Rロシア陣地で9471
ロシア陣地での戦死者を見入るロシア兵
(合掌)

((((日本人は殺されたロシア人将校に適切な埋葬アンタンでs
日本兵は戦死したロシア人将校に適切な葬送をした・・アンタンで

((((死傷者収容中の日露軍s
死傷者収容の為、休戦中の日露軍関係者

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「日清戦争」「日露戦争」双方ともに、朝鮮半島を巡っての清国からの蹂躙、ロシアからの蹂躙が原因で日本への脅威も考え、義侠心をもって朝鮮の独立と富強のために開戦となったのです。日清戦争後、下関条約により「大韓帝国」として独立したもののロシアが韓国政治の中枢に触手を伸ばしてきたのです。

日露戦争に於いては、欧米から視察武官が監視に参加し欧米から特派員も視察して、日本では殆んど知られていない写真も残されておりました。
順次、ご紹介したいと思います。

【日清戦争(1894)から日露戦争(1904)への動向】

1894年(明治27年)2・・朝鮮・全羅北道で大規模な農民蜂起「東学党の乱」が発生し、朝鮮政府は清国政府に援軍出動を要請、当然日本も出兵して、この東学党の乱は平定されたものの日清両軍は半島での残留を余儀なくされる。


18345に「日清共同内政改革提案」を朝鮮政府に提出し、朝鮮政府はこの提案を認めたものの数日後に全面拒否の回答を出す。朝鮮の背後から拒否をさせたのは清国であった。日本は提案拒否を開戦の大義名分として明治2781日開戦の詔勅が出された。


1895年(明治28年)417日、日本が清国に勝利、下関条約調印、遼東半島の割譲を受ける。

同年4月23日・・日本が割譲を受けた遼東半島が、露独仏の三国干渉に依り清国へ還付を余儀なくされた。 一方、朝鮮は自立が可能となったとはいえ清国の支配力は衰えたが、遼東半島の還付を見た朝鮮政府は「日本、恃むに足らず」とみてロシアに急接近、ロシアもこれを好機と見て影響力が着実に増大して行き、朝鮮国王の高宗をロシア公使館に移し、国王はロシア公使館から詔勅を発することとなり、ロシア公使館から摂政を行う事となる。朝鮮は清国に続いてロシアへの「事大主義」の道を選び、再び国家の体を為していないものとなった。   

一方、日本が清国に還付した遼東半島はロシアの租借地となり、日本が苦難の日清戦争で獲得した権益が次々とロシアの手に落ちて行った。

満洲を勢力下に置いたロシアは朝鮮半島に持つ利権を手がかりに南下政策を取りつつあった。ロシアは高宗を通じ、売り払われた鍾城・慶源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増したが、ロシアの進める南下政策に危機感1861年(文久元年)にロシア軍艦による対馬占領事件があった為)を持っていた日本がこれらを買い戻し回復させた。当初、日本は外交努力で衝突を避けようとしたが、ロシアは強大な軍事力を背景に日本への圧力を増していった。


19038からの日露交渉において、日本側は朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置くという妥協案、いわゆる満韓交換論をロシア側へ提案した。しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエブゲーニイ・アレクセーエフらは、朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害されるおそれのある妥協案だとした。ロシアは日本側への返答として、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。

日本側では、この提案では日本海に突き出た朝鮮半島が事実上ロシアの支配下となり、日本の独立も危機的な状況になりかねないと判断した。またシベリア鉄道が全線開通すると、ヨーロッパに配備されているロシア軍の極東方面への派遣が容易となるため、開通前の対露開戦へと国論が傾いた。そして190426日、日本の外務大臣小村寿太郎は当時のロシアのローゼン公使を外務省に呼び、国交断絶を言い渡した。


1904年(明治37年)28日・・大日本帝国注釈は「ロシア帝国の南下政策による脅威を防ぎ、朝鮮半島を独占することで、大日本帝国の安全保障を堅持すること」を主目的とし「旅順口攻撃」を行い開戦した。

開戦後に明治天皇の名により公布された『露国ニ対スル宣戦ノ詔勅』でも、大韓帝国の保全が脅かされたことが、日本の安全保障上の脅威となったことを戦争動機に挙げている。

(((Nichirojp

((((兵士たちが東京を前に出て、日本
故国の港から大陸の戦線へ

((((日本軍歩兵部隊の上陸ー朝鮮
日本軍歩兵部隊の上陸・・朝鮮仁川

((((仁川に上陸した最初の日本軍。
仁川に上陸した最初の日本軍。

(((( at Chemulpo, Korea 1904 (over 21 MILLION views Tha((釜山
仁川
Chemulpo, に上陸した日本軍

((((Chemulpoで医療用品を運ぶ韓国人労働者
仁川で医療用品を運ぶ韓国人労働者

((((ヤルへの前進のシーン
京城へ到着の日本軍

((((朝鮮を北上
朝鮮を北上中の第1軍兵士

((((日露、日本兵のポーターとして働く韓国のクーリ
日本兵のポーターとして働く韓国のクーリー

((((1ヤルへの前進のシーン
ヤルへの前進をする日本軍

((((日本軍がヤル川を渡る
日本軍がヤル川を渡る

((((1900年代、日本陸軍の帝国防衛部隊の兵士
日本陸軍の帝国防衛部隊の兵士

((((1904年の日露戦争中の日本軍の射撃ライン。
日露戦争中の日本軍の射撃ライン

((((ロシアの立場で前進する日本の兵士
敵を意識して前進する日本の兵士

((((鴨緑江の仮設橋を渡る第一軍部隊
鴨緑江の仮設橋を渡る第一軍部隊

((((1yxo1_500
キビ畑で突撃前進が始まる

((((オープンフィールドを横切って前進。 (2)
オープンフィールドを横切って前進

((((攻撃する準備ができている日本兵
攻撃態勢ができている日本兵

((((大山陸軍の兵 October 1904).
大山陸軍大将の歩兵はシャホー平野でロシア軍に睨みをきかす

((((大山陸軍元Shaの歩兵はシャホー平野でロシア軍に
大山陸軍大将の歩兵はシャホー平野でロシア軍に睨みをきかす

((((日本刀を身に着けた将校
日本刀を身に着けた将校

((((軍の病院に負傷した同志を運ぶ
野戦病院に負傷した同志を運ぶ

((((重機関銃を輸送した日本軍
重機関銃を搬送中の我が軍

((((負傷した日本兵が更衣室に向かう途中-
負傷兵は後方の野戦病院へ移動

((((負傷兵
野戦病院へ到着した負傷兵

((((負傷したロシア人を
負傷したロシア兵を救助する

((((モティエンPassで負傷したロシア兵士
モティエンPassで負傷したロシア兵士

((((負傷したロシア兵が日本兵によって
負傷したロシア兵捕虜は、日本兵によって野戦病院へ


((((視察中の英国看護婦
野戦病院視察中の英国看護婦

((((ロシア軍最前線_045
ロシア軍最前線での行軍

((((タリングTalingで戦闘中のロシア軍
タリングTalingで戦闘中のロシア軍

((((きび畑でロシア兵の射撃体勢k
きび畑でロシア兵の砲撃体勢

((((ロシア軍病院で負傷した日本人捕虜
ロシア軍野戦病院での負傷した日本人捕虜

((((ロシア軍のキャンプでの体罰
ロシア軍のキャンプでの体罰

((((ロシアの医療搬送
ロシア軍の医療品搬送

((((210▲img_15




●中国政府の科学技術省が2月中旬に「新型コロナウイルスのような高度のウイルスを扱う微生物実験室の生物安全保障の強化に関する指令」を出した。これほど高度のウイルスを扱う研究機関は中国全土でもきわめて少なく、武漢の生物安全実験室はその一つである。
((((03-06 新型ウイルス中国研究機関から流出?
     http://www.nikaidou.com/archives/123457 

そろそろシナやその他もろもろに反撃をしないといけませんね。

昨年11月に武漢の病毒研究所で漏洩が起きたようですね。
これは中共は否定するでしょうが、黄燕珍といういう研究員が感染して家族も感染し、焼却処分にされたようです。
https://japan-indepth.jp/?p=50331


((((閉鎖された武漢の海鮮市場
              閉鎖された武漢の海鮮市場


この時点では中共本体は認識していなかったかもしれません。
しかし、12月の半ばには噂がたっていますし、認識していたのではないでしょうか。
海鮮市場は12月31日に閉鎖、1月2日には新型肺炎の対策を取っていた軍の資料があるとのこと。なお、習近平が指示を出したのは1月7日とのこと。


日本でも感染症研究所が1月10日に危機のような説明を出しています。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-idsc/2482-corona/9303-coronavirus.html
この時点でWHOが動き出し、各国に注意勧告を出し、状況を調査し、非常に伝染性が高く、致死率もインフルエンザの20倍以上はあることを早めに認識していれば、春節で世界中にこれほどの勢いで拡散させなかったでしょう。
実際には12月半ばには全世界に中国人が拡散し始めていたものと思われます。
日本でも12月から原因不明の肺炎が見つかり始めています。
アメリカも6週間以上前から拡がり始めていたと言い始めています。
12月末に少なくとも中国政府が隠蔽せずに世界に宣言していたらこのような展開にはなっていなかったでしょう。

責任はまず中共の隠蔽工作にあります。
次に今でも中国を賛美し、日本、イタリア、韓国、イランを問題視し、責任転嫁を図る中国の忠実な下僕として振る舞うテドロスに責任があります。テドロスだけでなく、WHO全体ですね。

ダイヤモンドプリンセス号はイギリス船籍です。
船は船長が絶対的な権利を持っています。
おそらくイギリスから日本政府へ依頼があったものと思われます。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484......dp-01.html
厚労省は確かに能力不足ですが、中共及びWHOの指示もあり、対策したものと考えられます。
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484......dp-01.html
国際基準に則って対処するとあります。
今でもWHOは飛沫感染で空気感染ではないとしています。
飛沫感染だと最大3mほどしか飛びませんから、あの対応(廊下や部屋をスペースをとって分割する)でよいと思います。しかし、2月半ばころには中国の大学・香港の病院からエアロゾル感染、つまり空気感染の話が出始めました。エアロゾル感染ではあの対処では全く防護できません。マスクと手袋だけ、乗客に至ってはおそらく何もつけていないでしょう。培養器となる恐れがあると申したのはそのことです。ここに、早く気付いて対処できなかったのは日本の失点です。しかし、今の時点でもマスクは意味がない、飛沫感染といっているWHOは犯罪集団です。
中共は日本企業の12万人を人質にしているのでしょうか、直ちに引き戻すべきです。もし、重大性に気付いていない企業人がいたらバカそのものです。大事な部下をそんなところに置いておく、さらに政府に圧力をかけるのであれば、企業名を公表しましょう。不買運動を行い、そんな会社は潰しましょう。
中共は都市を閉鎖していますから海外からは状況がよく分からないのをいいことに、感染者らしきものは処分しているようです。しかし、経済が悪化してきたので工場を再稼働させようと地方から工員を送り込むようです。再度、パンデミックが起こるでしょう。
日本のせいにしようとしているようですが、バカでしょうか。
日本、韓国には大ごとにはしないでほしい、日本企業には圧力をかけて政府に依頼させ、アホの二階工作員と創価・公明党にも強く指示を出しているのでしょう。最初から日本や韓国に責任転嫁するための工作です。善意なんて通用すると思う方が間違いです。テドロスはその忠実な下僕です。

ここはきちんと声明を出しましょう。
政府がだめなら一般人、団体でもよいです。

なぜ、武漢で肺炎が蔓延し始めた際に世界に公表しなかったのか?
なぜ、きちんと肺炎の特徴を正式に知らせず、一部大学・研究所が発表した結果を公表させず(あるいは取り下げさせ)、それらの研究者が行方不明になっているのか?
武漢病毒研究所が爆破されたとの噂があるが現存しているのか?これは衛星で他国も見ているので時間の問題ですが、爆破していたとしたら、明らかにそこで何かがあったということです。そこをきちんと突きましょう。
Screenshot_2020-04-01 Google マップ(1)

((((G_3190
因みに、武漢病毒研究所は町のど真ん中です。
https://www.google.co.jp/maps/@30.5396779,114.3510765,483m/data=!3m1!1e3?hl=ja
日本は、マスクや防護服などを大量に送りましたが、現場には届いていないようです。どこに行ったのか明らかにしてください。
また、武漢では半数近くが閉鎖前に脱出していますが、その間も逃げ遅れた共産党幹部や家族は逃げたようです。
なぜ、このようなことをするのですか?
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200303/for2003030002-n1.html
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200303/for2003030002-n2.html
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200303/for2003030002-n3.html

アメリカもヨーロッパにももう拡散しています。
これは中国と手下のWHOの責任です。
みなで糾弾すべきです。
D・プリンセス号の件もこうなることを予見して情報を隠蔽していたのでしょう。そして、日本の官僚にもスパイは山のように入っています。
イギリスやアメリカも恥ずかしくないのでしょうか。
船籍や所有者を考えると責任をすべて日本に押し付け、感染者は置いていく。それで日本の対応を非難するのはお門違いでしょう。
本国でも予想外に拡がっていることに戸惑っていることでしょう。

これは中国が作り出したウイルスできちんと情報を出さなかったからここまで広がったわけです。
人類の敵、世界の敵、そして中国人民の敵、中国共産党、習近平を世界から消し去りましょう。ついでにWHOも要りません。

習近平、国賓なんてもってのほかです。

ウイグル、チベット、内モンゴル、そしてかつては満州、人権侵害どころか、最近は強制収容した異民族や法輪功の信者の臓器売買、人体模型の製作などおよそ人間のやることではありません。
香港だけでなく、様々なところで国民の反発も出ているようです。
一気につぶす方向でいきましょう。江沢民も要りません。

コロナと中共に打ち勝ちましょう。

何一つ良いことがない中国からの入国をなぜ続けるのか意味不明です。

あと、トイレットペーパーはそのうち出てくるでしょう。
その他も落ち着くでしょう。
もし、このままないなら転売屋が跋扈しているので、きちんと顔をさらし、逮捕しましょう。人間の屑です。
マスクや消毒液は中国人の転売屋や企業も絡んでいるのでしょう。


●シナの衛生観念が汚いからあんなに患者が出た。
http://www.nikaidou.com/archives/123529

オルベスコ使えば大抵治るみたいですね。肺炎。まぁそれはともかく、日本でそんなに死人が出ないのは、公衆衛生が世界一で、清潔だからだと思います。外国はとにかく汚い。

中共はアメリカがばらまいただの日本が拡散しただの責任転嫁に必死ですが、そもそも11月末に発覚し、12月初旬には中央政府も認識しています。その後、おかしな病気がはやり始めていることに気付いた複数の医師を逮捕監禁したのは明らかに隠蔽工作です。しかも、これだけ人が死んでもうバレバレになってから武漢を封鎖し、何万人も焼却処分にしたようですから、よほどやましいことがあったのでしょう。

今回のウイルスは12月初旬には武漢周辺で既に蔓延しはじめ、海外に広がり始めたのだと考えられます。日本もアメリカもヨーロッパも12月から感染者が出始め、あからさまに重症となるものが現れてきたのだと思います。中国の致死率が高いのは衛生観念が全くなく汚いからでしょう。
http://news.searchina.net/id/1580135?page=1
http://news.searchina.net/id/1632711?page=1
でこういう対応がなされています。
https://www.afpbb.com/articles/-/3268515

症状はエイズとSARSによく似ています。
https://www.sankei.com/life/news/200304/lif2003040067-n1.html
https://www.afpbb.com/articles/-/3270372

エイズは
http://www.hokenkai.or.jp/2/2-5/2-55/2-55-2.html
https://medicalnote.jp/contents/170703-003-LK
http://hok-hiv.com/knowledge/process/
一番下の資料にあるように、感染後すぐには発熱や倦怠感などインフルエンザに似た症状がありますが、いったん収まると何年後かに発症します。その際は免疫系がやられて、常在菌などに感染し、肺炎などで死亡します。
SARS
https://www.forth.go.jp/keneki/kanku/disease/dis03_07ser.html
http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/assets/survey/kobetsu/j1003.pdf
下の資料に記載されていますが、 空気感染、糞口感染も疑われるときちんと書かれています。
今回のウイルスも中国保健当局がエアロゾル感染の可能性を認めています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200219/k10012292631000.html
しかし、官邸HPではまだ飛沫感染で、WHOもそうです。
https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/coronavirus.html
ここを間違えると意味が全く異なります。
テドロスはマスクは意味ないと言っていますが、完全ではないですがマシにはなります。どれだけウイルスに曝露されるかで変わるのですから。
アビガンを作った方の説明はさすがに説得力があります。
https://www.fnn.jp/posts/00433061CX/202003011829_CX_CX

症状は基本似ていますが、免疫不全で再度のウイルス増加はエイズの方が似ているかもしれません。
ということは、症状がでない感染者もそのうち症状が現れる可能性もあります。一方で、エイズでも発症しない人もいるようです。

免疫系がだめになり、中国のように汚いとだめなのでしょうね。
日和見病原体
日本は綺麗だが・・・
中国は
http://news.searchina.net/id/1580135?page=1
http://news.searchina.net/id/1632711?page=1
でこういう対応がなされている。
https://www.afpbb.com/articles/-/3268515

さらに最終的には敗血症か?
https://doctorsfile.jp/medication/255/
https://medical.jiji.com/medical/023-0084-01

死体からも感染
https://news.yahoo.co.jp/byline/yanagiharamika/20200229-00165230/

一番悪いのは習
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200228/k10012305441000.html

まずは感染してすぐに発症した人からアビガン投与となったのでしょうね。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56396140U0A300C2CC1000/
上にも書きましたが、無症状でも一応落ち着いたころに検査して、アビガンなどによる治療が必要かもしれません。

●これは本物でしょうか?
https://ameblo.jp/bonbori098/image-12580034582-14723597192.html

人工編集・新型コロナウイルス
【重組】=【人工編集】

【重組新型冠状病毒疫苗】=【遺伝子・人工編集新型コロナウイルス用のワクチン】

製造元=中国人民解放軍軍事科学院、軍事医学研究院 謹製

製造日付=2020年2月26日とある。

●武漢病毒研究所だけでなく疑われている研究所があと二つあるのですね。こちらは海鮮市場のすぐそばです。
https://www.whcdc.org/
https://www.google.co.jp/search?sxsrf=ALeKk018BoOV3Que9sgbn5BFSUv9nGXL......:2&rldoc=1

本当に爆破されていたらおもらしは確実ですね。
武漢病毒研究所はSARS、エイズ、エボラ、二パ、インフルエンザなど研究をしていましたし。
http://english.whiov.cas.cn/Research2016/Research_Progress2016/index.html
https://www.ccn.com/hiv-ebola-like-mutations-suggest-coronavirus-leake......rom-a-lab/
今回のウイルスはSARSやインフルエンザにも や感染の仕方は似ています。そしてエイズにも症状が似ている。


●中国が新型コロナウイルスを「日本新型コロナウイルス肺炎」と命名か・・

https://buzz-plus.com/article/2020/03/03/accident-outbreak-of-coronavirus/ 

    シナは手のひら返した。「日本肺炎」って呼び始めたぞ・・

・日本新型コロナウイルス肺炎
そんななか、またひとつ、日本を揺るがす大きな問題が浮上したようだ。在日中国大使館が在日中国人をメイン対象者として公示した文章のなかに、「日本新型コロナウイルス肺炎」(日本新型冠状病毒肺炎)と表記していると物議を醸している。


・確かに「日本新型冠状病毒肺炎」という一文
実際に在日中国大使館の公式サイトを調べてみると、「中国驻日本大使馆致在日同胞的公开信 关于新型肺炎疫情的提醒」というタイトルの文書のなかに、確かに日本新型冠状病毒肺炎という一文があった。


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     【原文】


((((china-原文


      【翻訳文】


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