泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2019年04月


●井上角五郎の朝鮮視察

イメージ 2明治15年(1882)12月、福澤諭吉の指示によって朝鮮政府顧問アドバイザーとして派遣された牛場卓蔵高橋正信に井上も同行。朝鮮の一般庶民の意識改革の為、識字率を上げる必要を感じていた福澤は、井上らに「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙の為には、朝鮮語による新聞の発行が不可欠」と訓示した。


↑ 井上角五郎 (中部電力初代社長・井上五郎の父)



明治1911月京城から釜山に向けて出発した。 
出発準備は整っていたが直ぐに出発できない事情があったのだ。それは朝鮮では人が伝染病で死亡した時には、屍を山野の木の枝に載せたままで、数年を経過する風習がある。昨年コレラが流行した為に生々しい屍が、今もなお山野に累々としていて旅行に適していないからと秋冷の候を待たねばならなかった。

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1118日午前6時、いよいよ京城から出立した。我等の一行は予て召し使っていた李花春と李伯元と馭者の韓致那とを伴い衣服、用具、食糧に加えて、他に従者用、保護兵士用の荷物や馬丁や兵士等で総勢20人ばかりで南大門を出た。見送りの人がはなはだ多く約三里の果川県に着いて見送りの人と最後の宴を張った。

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               朝鮮の接待
 
京城を出て以来、旅中はさほどの困難は無かったが、その不便な事といえば尋常ではなかった。
第一に宿屋が少ないことである。馬はたいてい屋外に繋ぎ、馬の食料も得難いので豆、麦などを載せて行くのを常とした。各地共に寝室は6尺四方の部屋(約2畳)が二部屋あるのを上等として、ほとんど一部屋のみである。天井は低く入口は幅3尺(約90㎝)が一つで、窓も無く障子も無く藁ぶき屋根で壁も粗塗り汚くて、ここへ数人一緒に入って傍らに荷物を置くので寝るだけでも窮屈である。
第二に食事の不便は実に尋常でない。大体食事は飯一膳に漬物一皿に小魚がある。又はその上に汁一椀と醤油少々を添えるものだが、何にせよ全てに臭気が有って嗅ぎなれても中々喰う気になれない。仕方ないから飯だけは喰うのである。当地の飯は大豆や小豆を加えて炊くのを例としていて、これほど食事が悪いとは想像もしていなかった。
第三には、日常生活が実に不潔な事である。沐浴は一切出来ず、衣服も日々の垢で汚れ、至る処の宿屋に必ずシラミが居て身体にとりつき、たまたま新しい衣服に着換えても痒くてたまらない。
またビンガイという南京虫がいてこれが酷く刺す。室内はオンドルのため暖かいから厳冬でも死滅しない。殊に蠅は弱くて常時の食物に混じったり、足で踏みつぶしたり頭髪に取り付いたりして、その不潔な事、見るに堪えない。

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次に大小便所の備えが無いのは困った事で、家の傍か田畑の中で用を足すのであるが、朝鮮の風俗として人に見られるのも憚らない。且つ物見高い朝鮮人、余輩の如き外国人は珍しいので大小便する周囲に立ち並んで見物する事、甚だ不都合千万である。
以上のことは烈風と風雪を冒して、しかも粗悪な険悪な道路を毎日56里(24km)づつ旅しながら私等が釜山に到着するまで、どこでも同様であった。
 
然も身の周り常に危険を免れなかったにも拘わらず、至る処で地勢、気候、施政の状況、人民の生活状態、人情風俗、伝説等に至るまで詳細に記録し、特に経済状態と徴税の実際については精密に調査して後日国王に報告した。


常に朝鮮の徴税の方法は乱脈を極め、地方によって高低があり、地方官幣に登録されている人民の戸口は常に実際より少なく報告して、その幽霊人民の税は徒に地方官吏の私服を肥やすことになっていた。


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             両班・・地方官吏

裁判にも私情による歪曲が多く、刑罰は残酷を極め両班どもの他、富豪地主の専横が甚だしく、更にコレラの流行あり、盗賊の横行あり、南部では虎の害、未だに絶えず最近3年間に噛み殺された者が30人もあるという地方もあった。
53才になる宿の主人が私に語って曰く「諸物価は78倍の高値となり、戸数も増えもせず減りもせず、ただ一両年の凶作に加え今年のコレラの流行で空き家が増え、家族が死んでも葬ることが出来ない。政府の租税は以前と変わらないが、地方官吏が種々に口実を設けて徴収し、凡そ5割方増やされた。その理由はこの地より京城に貢米を運送する費用と云い、その途中で舟が難破したので再収するという。土民はその誅求に耐えられない。その上、今年京城で大溝を開設するので、就役税と称して各戸に1文銭7銭づつを課せられた」との事。


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               農家の庭先
 
私が旅した朝鮮の地方は、李氏朝鮮となってから常に圧政を受けたので、土地は荒廃し人民は怠惰となっているけれども、気候と地味とは我が九州、中国地方に似て灌漑、交通の利便を開拓し、農業の方法を改善するに至れば、処々に開拓すべき原野も甚だ多く、生産や現在の住民を2倍、3倍にすることも出来そうで、却って余裕を感ずることができる。私は我が国の食料問題、人口問題を考慮しても、必ず日本人の手で開拓出来るよう協力すべきと考えるものである。


●ホーマー・ハルバートの「朝鮮亡滅」より

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↑ ホーマー・ハルバート

 1886~91年に朝鮮で布教したアメリカ人宣教師の「朝鮮亡滅」より



 朝鮮人は本当に怒ると正気を失ってしまう。

 自分の生命すら見えないような状態になり、牙のある動物になってしまう。 口の周りに泡が溜まり、更に獣のような表情になる。
 悲しい事だが、この怒りの衝動で理性を忘れる悪弊は、男だけではない。女は立ち上がって酷い大声で喚くので、最後には喉から声が出なくなり、次には強烈に嘔吐する。正に半狂乱のざまだ。
 精神錯乱になった女を見る度に「どうして脳卒中で倒れなかったのだろうか?」と
私は思う


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 朝鮮人は子供の時から、自分の気持ちを制御する術を学ぶ事がないらしい。子供も親を見習って、自分の気に入らない事があると、狂人のように大暴れする。
 結局、欲望を達成するか、あるいは長時間の後、鎮静に戻るか、そのどちらかに落ち着く。
 後に火病という朝鮮にしか存在しない精神病が同じ症状だといわれている。


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学校愛父兄会など自己負担で、教科書の写真交換計画 
大田市「学校愛父母会」小学校​​教科書のニホン人写真交換
2013.07.10


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[ソウルミーナ]小学校の教科書にニホン人の写真を使ったのが公論化すると大田地域の親団体などが問題教科書の交換を要求している。これらは自己負担をかけて問題の教科書をすべて交換すると発表し注目される。

最近、小学校の教科書に掲載された「子どもの老夫婦」、「団欒家族」などの本文に登場する人物たちが皆日本人であることが、放送局の報道で明らかになった。

問題の国定教科書は、小学校の統合教科書8冊のうちの家族1、家族2、夏の1の3冊である。
小学校統合教科書は、既存の正しい生活、賢い生活の3つの科目を合わせたもので全国の1、2年生87万人に使用する。また、小学校3年生47万人の学習科学の教科書にもニホン人の写真が登場することが明らかになった。

問題となった教科書製作会社の関係者は、「テーマに合った写真を選ぶ過程で検証が十分でなかった」とミスを認めた。

これにより、「学校愛父母会」と「大田・忠南・世宗印刷組合」などは、大田市・忠清南道・世宗市のすべての小学校の誤った教科書表紙の写真の全面交換を主張している。しかし関係機関は、明確な答えを出していない。

学校愛父母会と大田・忠南・世宗印刷組合は、「大田広域市、忠清南道、世宗市のすべての小学校の誤った教科書の表紙写真を交換させたい」とし「教育委員会は、これに対する計画を確立し、大韓民国家庭の幸せな写真で選定して教えてほしい」と要請した。


(ソウル/みそっち)



2年生の国定教科書8冊のうち3冊の表紙写真の人物がニホン人・・

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あの韓国国定小学校教科書ニホン人事件は2013年だったんですね。

あの時も韓国人は顔にコンプレックスがあるって書いた気がするんですが、その後この教科書がどうなったのかは続報が見つかりませんでした。

まぁ騒がず交換はしないで、現在では別の表紙になったみたいです。


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見事なチョン顔ですね ふひひっ

韓国文部科学省、ニホン人の写真を「強制労働動員我が民族」と歪曲した小学校教科書エラー認め... "修正する" のか...

こちらは今年の強制徴用関連ですが、こちらも教科書の交換は無さそうです

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  韓国小学校の教科書に使い廻し    大正15年北海道での写真(サンケイ)

今年小学校6-1社会の教科書に「強制労働に動員された私たちの民族」という説明の写真が掲載されたが、その写真は、過去の日本の北海道開拓の過程で悪徳土木業者に強制使役あう警察によって解放された日本人であり、1926年9月9日、北海道の地方紙旭川新聞が報道した写真だと確認されたとの報道があった。

その議論と関連して、文部科学省当局者は21日「歴史の専門機関に確認した結果、1926年9月9日、北海道地域紙の写真で確認された」とし「1926年当時は「徴用」の時期と一致しないこととそれを朝鮮人労働者に表示が難しいという歴史の専門機関の回答が来た」と伝えた。

続いて「写真のエラーが正しい判断になって教科書を修正するための手順を進行中」とし「教科書の修正は、小学校は国定教科書で教科書を編纂した編纂委員会に修正計画を提出するようにした修正計画が来れば市道教育庁をを通じて学校に案内する予定」と話した。また、「その部分は、4月に学ぶことが内容に学生が学習の前に必要な措置をとること」と付け加えた。



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minaQ せんせより転載・・↓





パリのノートルダム大聖堂で火災発生と尖塔の崩壊・・

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フランスのパリ中心部にあるノートルダム大聖堂で現地時間の15日午後7時前、日本時間の16日午前2時前に火災が発生し、現在も火の勢いは収まっていません。
NHKのヨーロッパ総局の入っている建物の屋上のカメラからは大聖堂の中央部にあるせん塔や周辺の屋根が最も激しく燃えていて黒煙とともに赤い火が吹き出しているのが確認できます。
現在、現場では消火活動が続けられていますが火の勢いは収まっていません。
パリ市の消防局はNHKの取材に対し、大聖堂の屋根裏付近から火が出たとみられると話しています。
大聖堂では建物の外壁の周りに足場を組んで修復などの工事が行われていました。
ノートルダム大聖堂はパリ中心部を流れるセーヌ川の中州、シテ島にあり、850年余り前の1163年に着工したゴシック建築を代表する建物です。

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      2019416早朝に燃焼するノートルダム寺院

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      2019416早朝に燃焼するノートルダム寺院

以下は・・45年前に写されたノートルダム寺院

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       セーヌ川から見たノートルダム寺院(1974年)

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 セーヌ川から見たノートルダム寺院(1974年)

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 セーヌ川から見たノートルダム寺院(1974年)

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 正面から見たノートルダム寺院(1974年)

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 北面を見たノートルダム寺院(1974年)

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16時間16時間前

教科書などでは「満州国」の表記が一般的だが、あれは何故かというと「洲」という文字が常用漢字じゃないからなんだ。だから同じ読みで形の似た「州」で代用してるってわけ。

「満洲時報」4月号
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溥君とあるのは愛新覚羅溥儀・溥傑の子孫らしい・・16歳とのこと

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3月8日
溥君総統、秘書長達はダライ・ラマ法王日本代表部に表敬訪問し、ルントック代表と意見交換した。(茶色が溥君総統か)


「満洲時報」3月号
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  「満洲時報」3月号(中国語)
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「満洲時報」2月号
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「満洲時報」1月号
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