●井上角五郎の朝鮮視察
↑ 井上角五郎 (中部電力初代社長・井上五郎の父)
明治19年11月京城から釜山に向けて出発した。
出発準備は整っていたが直ぐに出発できない事情があったのだ。それは朝鮮では人が伝染病で死亡した時には、屍を山野の木の枝に載せたままで、数年を経過する風習がある。昨年コレラが流行した為に生々しい屍が、今もなお山野に累々としていて旅行に適していないからと秋冷の候を待たねばならなかった。
11月18日午前6時、いよいよ京城から出立した。我等の一行は予て召し使っていた李花春と李伯元と馭者の韓致那とを伴い衣服、用具、食糧に加えて、他に従者用、保護兵士用の荷物や馬丁や兵士等で総勢20人ばかりで南大門を出た。見送りの人がはなはだ多く約三里の果川県に着いて見送りの人と最後の宴を張った。
京城を出て以来、旅中はさほどの困難は無かったが、その不便な事といえば尋常ではなかった。
第一に宿屋が少ないことである。馬はたいてい屋外に繋ぎ、馬の食料も得難いので豆、麦などを載せて行くのを常とした。各地共に寝室は6尺四方の部屋(約2畳)が二部屋あるのを上等として、ほとんど一部屋のみである。天井は低く入口は幅3尺(約90㎝)が一つで、窓も無く障子も無く藁ぶき屋根で壁も粗塗り汚くて、ここへ数人一緒に入って傍らに荷物を置くので寝るだけでも窮屈である。
第二に食事の不便は実に尋常でない。大体食事は飯一膳に漬物一皿に小魚がある。又はその上に汁一椀と醤油少々を添えるものだが、何にせよ全てに臭気が有って嗅ぎなれても中々喰う気になれない。仕方ないから飯だけは喰うのである。当地の飯は大豆や小豆を加えて炊くのを例としていて、これほど食事が悪いとは想像もしていなかった。
第三には、日常生活が実に不潔な事である。沐浴は一切出来ず、衣服も日々の垢で汚れ、至る処の宿屋に必ずシラミが居て身体にとりつき、たまたま新しい衣服に着換えても痒くてたまらない。
またビンガイという南京虫がいてこれが酷く刺す。室内はオンドルのため暖かいから厳冬でも死滅しない。殊に蠅は弱くて常時の食物に混じったり、足で踏みつぶしたり頭髪に取り付いたりして、その不潔な事、見るに堪えない。
次に大小便所の備えが無いのは困った事で、家の傍か田畑の中で用を足すのであるが、朝鮮の風俗として人に見られるのも憚らない。且つ物見高い朝鮮人、余輩の如き外国人は珍しいので大小便する周囲に立ち並んで見物する事、甚だ不都合千万である。
以上のことは烈風と風雪を冒して、しかも粗悪な険悪な道路を毎日5~6里(24km)づつ旅しながら私等が釜山に到着するまで、どこでも同様であった。
然も身の周り常に危険を免れなかったにも拘わらず、至る処で地勢、気候、施政の状況、人民の生活状態、人情風俗、伝説等に至るまで詳細に記録し、特に経済状態と徴税の実際については精密に調査して後日国王に報告した。
常に朝鮮の徴税の方法は乱脈を極め、地方によって高低があり、地方官幣に登録されている人民の戸口は常に実際より少なく報告して、その幽霊人民の税は徒に地方官吏の私服を肥やすことになっていた。
両班・・地方官吏
裁判にも私情による歪曲が多く、刑罰は残酷を極め両班どもの他、富豪地主の専横が甚だしく、更にコレラの流行あり、盗賊の横行あり、南部では虎の害、未だに絶えず最近3年間に噛み殺された者が30人もあるという地方もあった。
53才になる宿の主人が私に語って曰く「諸物価は7~8倍の高値となり、戸数も増えもせず減りもせず、ただ一両年の凶作に加え今年のコレラの流行で空き家が増え、家族が死んでも葬ることが出来ない。政府の租税は以前と変わらないが、地方官吏が種々に口実を設けて徴収し、凡そ5割方増やされた。その理由はこの地より京城に貢米を運送する費用と云い、その途中で舟が難破したので再収するという。土民はその誅求に耐えられない。その上、今年京城で大溝を開設するので、就役税と称して各戸に1文銭7銭づつを課せられた」との事。
私が旅した朝鮮の地方は、李氏朝鮮となってから常に圧政を受けたので、土地は荒廃し人民は怠惰となっているけれども、気候と地味とは我が九州、中国地方に似て灌漑、交通の利便を開拓し、農業の方法を改善するに至れば、処々に開拓すべき原野も甚だ多く、生産や現在の住民を2倍、3倍にすることも出来そうで、却って余裕を感ずることができる。私は我が国の食料問題、人口問題を考慮しても、必ず日本人の手で開拓出来るよう協力すべきと考えるものである。
●ホーマー・ハルバートの「朝鮮亡滅」より
↑ ホーマー・ハルバート
1886~91年に朝鮮で布教したアメリカ人宣教師の「朝鮮亡滅」より
朝鮮人は本当に怒ると正気を失ってしまう。
自分の生命すら見えないような状態になり、牙のある動物になってしまう。 口の周りに泡が溜まり、更に獣のような表情になる。
悲しい事だが、この怒りの衝動で理性を忘れる悪弊は、男だけではない。女は立ち上がって酷い大声で喚くので、最後には喉から声が出なくなり、次には強烈に嘔吐する。正に半狂乱のざまだ。
精神錯乱になった女を見る度に「どうして脳卒中で倒れなかったのだろうか?」と私は思う。
朝鮮人は子供の時から、自分の気持ちを制御する術を学ぶ事がないらしい。子供も親を見習って、自分の気に入らない事があると、狂人のように大暴れする。
結局、欲望を達成するか、あるいは長時間の後、鎮静に戻るか、そのどちらかに落ち着く。
後に火病という朝鮮にしか存在しない精神病が同じ症状だといわれている。