泰弘さんの【追憶の記】です・・・

大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・

2016年09月

太平洋戦争の残影 ⑧神風特攻隊・・5

【米空母の殆んどが、カミカゼの餌食になっていた・・・】
 
昭和16年(194612月の真珠湾攻撃で、航空母艦による最前線先制攻撃の見本を、世界に見せ付けたのは日本でした。


それから3年、日本軍は最前線ガダルカナルから米軍の逆襲を受け乍ら守戦、フィリピン奪還を目指す米軍機動部隊が襲来して来たのです。
最前線での新鋭先制攻撃機能と云われる米軍空母という空母は、神風特攻隊の最優先攻撃目標としての艦艇となったのです。
この特攻隊の執拗な攻撃により、米軍空母や大型戦闘艦艇のほぼ全艦艇が、大小の差はあれ多大の被害を被っていったのです。これらは順次轟沈してゆくか、修復のための6ケ月~1年と戦線離脱の止むなきを強いられていったのです。
 
米国海軍は日本海軍と同様「被害は軽微」と負け惜しみを打電しながらも、「補修のための戦線離脱や、海兵達のカミカゼ恐怖に怯えた狂人化」が進行して、その戦意喪失に辟易して悩み続けていたのです。 
 
20数隻にものぼる米軍空母の殆んどが、我が特攻隊突入の洗礼を受けて、大混乱を来たしている姿を見るにつけ、その効果の程は甚大なものが有ったのだ、誰がこのザマを軽微と言い放つ事が出来ようか・・・と言える事でしょう。

以下、米空母「エンタープライズ」、米空母「ハンコック」、米空母「ホーネット」、英空母「インドミダブル」、英空母「ビクトリアス」、米空母「オマニー・ベイ」の特攻被害状況。


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  1945年5月14日、特攻攻撃を受ける前の「エンタープライズ」遠望。

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        エンタープライズより来襲の特攻機を見る・・


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空母「エンタープライズ」に突入をはかった。


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5月14日午前6時56分、敵のスクリーンを突破して空母エンタープライズに突入する第六筑波隊。

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        空母エンタープライズに突入するゼロ戦。

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 富安俊助中尉機の特攻攻撃を受け、大破炎上する空母エンタープライズ。

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1945年5月21日、富安俊助中尉搭乗の零戦が空母エンタープライズに突入。

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突入で大きく損傷した、「エンタープライズ」飛行甲板エレベーター部分。

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    1945年4月7日、特攻機が命中した瞬間の空母「ハンコック」  


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1945年4月7日、米空母ハンコック(USS Hancock)に「第4建武隊」と見られる零戦が突入。

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3月20日、軽空母バターンへの急降下爆撃に失敗、対空砲火で撃墜された「彗星」。(空母ハンコックから撮影)

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    空母「ハンコック」の対空砲火により、この後空中分解す


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    1945年4月7日、特攻機が命中直後の空母「ハンコック」


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     1945年4月7日、特攻機が命中した空母「ハンコック」

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1945年4月7日、空母ハンコックに突入した特攻機により飛行甲板上の艦載機群が誘爆、大火災が発生した。


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特攻機に体当たりされた米艦隊空母「ハンコック」での葬儀(1945年4月)

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      真上から米空母「ホーネット」に突っ込む・・・
急降下する飛行機は、瑞鶴艦爆隊長坂本明大尉の九九式艦爆といわれている。
坂本機はホーネットの煙突に突入した後、飛行甲板に激突炎上した。

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           九九式艦上爆撃機
真珠湾攻撃からガダルカナルの攻防まで、艦上爆撃機の威力を世界に示した傑作機。


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空母「ホーネット」により被弾した日本軍爆撃機が艦橋に突入、このため大損傷をうけ放棄された。

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       英空母「インドミタブル」に突入寸前の特攻機。

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      特攻機が、英空母「インドミタブル」に突入瞬間。

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          英空母インドミタブル (HMS Indomitable)

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        英空母「ヴィクトリアス(HMS Victorious)


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1945年5月9日、英空母ヴィクトリアス(HMS Victorious)に突入寸前の「第18大義隊」ゼロ戦。


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    特攻機が命中し黒煙をあげる、英空母「ヴィクトリアス」


神風特攻隊・・↓ https://www.youtube.com/watch?v=zJSm42XtFLI 



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米空母オマニー・ベイ(USS Ommaney Bay)へ突入する「第1草薙隊」の銀河。

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               海軍攻撃機「銀河」


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      特攻を受け炎上する護衛空母「オマニー・ベイ」

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      特攻を受け炎上する護衛空母「オマニー・ベイ」

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       米空母オマニー・ベイ(USS Ommaney Bay)






太平洋戦争の残影 ⑦神風特攻隊・・4

アメリカ海軍の太平洋戦域での戦闘における死傷者のアメリカ軍公式統計は、特攻が開始された1944年以降に激増し、1944年から19458月の終戦までで45,808名に上り、太平洋戦争でのアメリカ海軍の死傷者合計71,685名の63.9%にも達したが(1945年の8か月だけでも26,803名で37.4%)、1944年以降のアメリカ軍艦船の戦闘による撃沈、損傷等は約80%以上が特攻による損失であり、特攻がアメリカ海軍の死傷者を激増させた大きな要因となった事が窺える。

また海軍以外でも、輸送艦などに乗艦していた、陸軍、海兵隊の兵士や輸送艦の船員なども多数死傷している。

以下、米空母「エセックス」、空母「サラトガ」、空母「フランクリン」、空母「タイコンデロガ」、空母「サンティ」の特攻被害状況。


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            米空母 エセックスへ突入

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   米空母エセックスに突入寸前の神風特別攻撃隊「香取隊」の彗星
   (尾翼№701-17号)

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昭和19年(1944)11月25日、米空母エセックスに突入直前の、第4神風特別攻撃隊「香取隊」の艦上爆撃機「彗星」(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)


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昭和20年4月11日(沖縄近海)、第58機動部隊の対空攻撃。特攻機は空母エセックスの直ぐ側で爆発。

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             エセックス突入

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            エセックス突入の瞬間。

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              甲板中央部を大破


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          米機の出撃、帰還不能に陥れる。

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昭和20年(1945)5月14日、08:05米空母エセックス(USS Essex)に突入中の爆装零戦。

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        空母エセックス、甲板機銃のダメージ・・・

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         空母エセックス、甲板のダメージ・・・

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              犠牲者の葬送式・・


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「エセックス」突入神風特別攻撃隊・・↓https://www.youtube.com/watch?v=vOJ274wBTZc&spfreload=1





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米空母サラトガ(USS Saratoga)は1945年2月21日、硫黄島の夜間防空と父島への夜間攻撃のため、駆逐艦3隻を伴って機動部隊を離れた際、「第2御盾隊」による特攻の衝突4機と爆弾2発に受けて大破。

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  1945年2月21日、米空母サラトガに突入する「第2御盾隊」の特攻機。

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              命中!!

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          空母サラトガ、甲板中央部だ。

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           出撃予定航空機もろとも・・・

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              懸命の消火作業

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             懸命の消火作業

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    エンジン作動中ながら頓挫、発進不能が数機あり・・サラトガ

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       大きく損傷した、空母サラトガの飛行甲板。

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空母サラトガ乗組員水葬式、死者・行方不明者合わせて123人、負傷者192人に達した。

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            出撃直前の「第2御盾隊」
神風特別攻撃隊「第2御盾隊」、昭和20年(1945)2月21日八丈島基地発基地より彗星/天山/ゼロ戦で出撃。(硫黄島周辺艦船攻撃)

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            海軍艦上攻撃機「天山」

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             艦上爆撃機「彗星」



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        米空母タイコンデロガに真上から突入す。

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        「彗星」艦爆・・2機目による突入の瞬間。


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          空母タイコンデロガに特攻機命中!


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1945年1月21日、台湾沖で神風特攻隊新高隊の特攻で、大破炎上する空母タイコンデロガ。

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     猛煙を噴き上げるタイコンデロガ(USS Ticonderoga)

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            特攻の恐怖に怯える甲板員

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昭和20年(1945)1月21日、特攻機の突入を受け煙を上げる米空母タイコンデロガ(USS Ticonderoga)

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      迷彩色を施した大破前の、空母タイコンデロガ・・

世界が語る零戦─「侵略の世界史」を転換させた零戦の真実・・↓https://www.youtube.com/watch?v=edE0eNwzDH8



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1944年10月25日、神風特攻の零戦が護衛空母スワニーに命中。


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護衛空母「スワニー」(USS SUWANNEE)1944年10月25日、フィリピンのレイテ島沖合で特攻機の命中。

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1944年10月25日、神風特攻隊敷島隊に突入された護衛空母「スワニー」

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           体当たり直前のカミカゼ・・・





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太平洋戦争の残影 ⑥神風特攻隊・・3

昭和19年(194410月、連合艦隊はレイテ沖海戦に出撃したが、このときはじめて「神風特攻隊」が、米艦隊に体当り攻撃を加えた。さらに、沖縄決戦で神風攻撃は最高潮に達し、連合軍を恐慌状態に追い込んだ。


 戦局の緊迫につれ、日本軍はあらゆる方法で海に陸に特攻作戦を展開し、強大な連合軍に対抗していった。


 この捨身の反撃は、連合軍将兵に不可解な不安と得体の知れない恐怖を与え、カミカゼ特攻の恐怖の代名詞となった。


以下、米空母「イントレピッド」、米戦艦「ウエストバージニア」、米戦艦「ミズーリ」、米空母「ガンビアベイ」、駆逐艦「ニューコム」「アーロンワード」の特攻被害状況。


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昭和19年(1944)11月25日、神風特別攻撃隊1機目が米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入した。

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神風特別攻撃隊1機目が米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入、噴き上がる黒煙。

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         米空母イントレピッド(USS Intrepid)
1944年10月30日、「第2忠勇隊」「第2義烈隊」の特攻々攻撃を受け特攻機が銃座に突入、12名死亡6名が負傷。


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神風特別攻撃隊「吉野隊」は、昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃突入。


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    米空母イントレピッド(USS Intrepid)は特攻機の突入を受ける。


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  米空母イントレピッド(USS Intrepid)に、2機目特攻機が接近を図る。


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 神風特別攻撃隊2機目が、米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入


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         空母イントレピッド (USS Intrepid)   特攻機2機目突入の瞬間。


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神風特別攻撃隊、2機目が米空母「イントレピッド」(USS Intrepid)に命中。


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相次いで神風特別攻撃隊2機が、米空母「イントレピッド」(USS Intrepid)に突入す。この時69名が死亡。
昭和20年(1945)3月18日、4月16日にも特攻機の突入を受けたが沈む事無く終戦を迎えている。

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命を捨てて特攻機を命中させても「轟沈」は難しかった様だ。
イントレピッドは、計5回特攻攻撃を受けている。

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      米空母イントレピッドでの戦死者175名の水葬式。



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米戦艦「ウェスト・バージニア」(USS West Virginia)に特攻機が命中の瞬間
神風特別攻撃隊「第2銀河隊」昭和20年4月2日、宮崎基地より「銀河」1機で出撃。(沖縄戦線)

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            海軍双発爆撃機「銀河」


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駆逐艦「ニューコム」(USS New comb)昭和20年4月6日午後、日本軍は菊水一号作戦を発動して神風特攻隊を大量投入した。

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3機目が船体中央部にそれぞれ命中して、駆逐艦「ニューコム」の船体中央は火を噴く廃墟と化した。

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     特攻攻撃を受け、形を留めない 駆逐艦「アーロンワード」

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         米空母「ガンビア・ベイ」(Gambier Bay)


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 空母ガンビア・ベイは特攻攻撃で炎上し沈没する。1944年10月24日


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         (右)の黒煙が護衛空母「ガンビア・ベイ」


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護衛空母「ガンビア・ベイ」(Gambier Bay)昭和19年(1944)10月24日、レイテ島沖合で特攻機の攻撃を受け大破沈没。

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戦艦「ミズーリ」後にこの船の甲板上で日本の降伏文書調印式が行われた。


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昭和20年4月12日、神雷部隊第5建武隊鹿屋より出撃(零戦13機)
 14:43 鹿屋基地を出撃した神風特別攻撃隊第五建武隊の爆装零戦が低空飛行により、米戦艦「ミズーリ」の右舷甲板に体当たりを敢行した。
(まさにその瞬間を撮らえた写真)

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    1945年4月、特攻機の攻撃を受けた時の米戦艦「ミズーリ」


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特攻機の右翼がミズーリの第3副砲塔上部に当たり、燃料に引火し炎上。
しかし左翼が艦に接触し、搭載爆弾はヒットせず・・。ミズーリは表面に損傷を受けた程度で速やかに消火作業が行われ鎮火している。
その後、搭乗員の遺体
(ほぼ上半身のみ)が40mm機銃座から回収された。

(鼻と口が確認できる)

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戦艦ミズーリに突入した隊員は、石井兼吉2飛曹か石野節男2飛曹のどちらかと見られている。


戦艦ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン海軍大佐は、多くの乗組員の不満の声があがる中、「この日本のパイロットは我々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火を掻い潜ってここまで接近してきたパイロットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」とし、翌朝9時艦上にて米海軍のしきたりに則り、星条旗に包まれた遺体は木製の担架に乗せられ、5発礼砲と共に海に葬られた。
(日本海軍特攻隊員水葬が行われた4月12日の午後、「ミズーリ」は再び特攻機による猛攻を受けた)


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     以下、ミズーリ号上で行われた、特攻隊員の葬送儀礼式
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昭和20年(1945)9月2日、
この戦艦「ミズーリ」の甲板上で「日本の降伏文書調印式」が行われた。

神風特攻隊・・↓https://www.youtube.com/watch?v=u7902RbflW4








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太平洋戦争の残影 ⑤神風特攻隊・・2

自らもイギリス軍の従軍記者として、空母フォーミダブルで取材中に特攻で負傷した経験を持つデニス・ウォーナー氏は「航空特攻作戦は、連合軍の間に誇張する必要もない程の心理的衝撃を与え、またアメリカ太平洋艦隊に膨大な損害を与えた。アメリカ以外の国だったら、このような損害に耐えて、攻勢的な海軍作戦を戦い続ける事はできなかったであろう」「そして、日本軍の特攻機だけが、このような打撃を敵(アメリカ海軍)に与える事が可能であったことだろう」と結論付けている。
 
【連合軍の人的損失】
特攻の効果で、連合軍を苦しめたものの一つが、大きな人的損失であった。
連合軍の人的損失については、アメリカ軍の公式記録等を調査した結果では特攻によるアメリカ軍の戦死者6,805名、負傷者9,923名合計16,728と集計している。
他にイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍でも数百名の死傷者が出ている。
連合軍全体では、戦死者12,260名 負傷者33,769に達したという推計もある。
 
アメリカ海軍の太平洋戦域での戦闘における死傷者のアメリカ軍公式統計は、特攻が開始された1944年以降に激増し、1944年から19458月の終戦までで45,808名に上り、太平洋戦争でのアメリカ海軍の死傷者合計71,685名の63.9%にも達したが(1945年の8か月だけでも26,803名で37.4%)、1944年以降のアメリカ軍艦船の戦闘による撃沈、損傷等は約80%以上が特攻による損失であり、特攻がアメリカ海軍の死傷者を激増させた大きな要因となった事が窺える。

また海軍以外でも、輸送艦などに乗艦していた、陸軍、海兵隊の兵士や輸送艦の船員なども多数死傷している。

以下、米空母「バンカー・ヒル」、英空母「フォーミダブル」、米戦艦「メリーランド」、米空母「ビスマーク・シー」の特攻被害状況。


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米空母バンカー・ヒルに、小川少尉突入の30分後、更に1機の特攻機が低空でバンカー・ヒルに突入を図った

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          炎上する空母バンカー・ヒル.

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    1945年5月11日 沖縄近海 炎上中の米空母バンカーヒル。


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        更に黒煙を噴き上げる米空母バンカーヒル

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安則盛三中尉機と小川清少尉機が、30秒の間に突入し炎上する空母バンカー・ヒル.

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        側方から見た炎上中のバンカー・ヒル.

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       幽霊のような姿で、自力航行中のバンカー・ヒル


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        バンカー・ヒルに残された特攻機のエンジン。

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       燃焼機体の残骸が重なり合う、バンカーヒル甲板。


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          バンカー・ヒル乗組員の遺体
特攻攻撃は無謀な作戦として太平洋戦争末期には、米軍内で戦果はほとんど無い様に言われていたが、これは米軍として認められない負け惜しみだった・・・戦後新たに公表された米軍の被害は予想以上のものであった・・・。

米軍は「馬鹿な自殺行為をしやがって・・」
(アメリカ的考え方)とは言いながらも、その成果の偉大さに海兵は狂人と化し、その戦意喪失に辟易して悩み続けていたのです。 

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空母「バンカー・ヒル」第2乗員待機室向かいの通路で
火焔に包まれ命を落とした乗組員の遺体。


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         破壊されたバンカー・ヒル艦中央部

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     米艦隊空母「バンカーヒル」の艦橋。飛行甲板の損傷.


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         破壊されたバンカー・ヒル艦中央部分

特攻ー空母バンカーヒルと二人のカミカゼ・・↓https://www.youtube.com/watch?v=hsswwdg1ptE




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     出撃前、快心の笑みで写真におさまる第53振武隊員達。



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昭和20年5月4日、神風特別攻撃隊爆装のゼロ戦が英空母フォーミダブル (HMS Formidable)に突入

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    神風特別攻撃隊爆装のゼロ戦が英空母フォーミダブル に突入.

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       英空母フォーミダブル (HMS Formidable)

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 再び黒瀬順斎中尉(22歳)とみられる特攻機が命中,英空母フォーミダブル.


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     5月4日11:30、特攻機が英空母フォーミダブル突入.


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神風特別攻撃隊爆装のゼロ戦が英空母フォーミダブル (HMS Formidable)に突入後の消化作業。

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     米護衛空母ホワイト・プレーンズに突入寸前の特攻機.


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昭和20年4月7日夜、米戦艦メリーランド(USS Maryland)へ「第3御楯隊」か252部隊が突入の瞬間。

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第2御楯隊」の特攻隊機の命中により大爆発を起こし、沈没した米護衛空母ビスマーク・シー.

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米護衛空母ビスマーク・シー(USS Bismarck Sea)は、2月16日
特攻隊機の命中により大爆発を起こした

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1944年12月15日、LST472号に特攻機が命中し火災が発生、特攻機により発生する火災はアメリカ海軍の大きな脅威となった。


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鹿屋基地、第10航空艦隊司令長官前田稔中将臨席で、神風特別攻撃隊昭和隊命名.

世界が語る神風特攻隊・・・↓  https://www.youtube.com/watch?v=EHZYOPI89SY







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