国史画帖『大和桜』㉞ 国乱れて忠臣 楠木正成現わる・・
北条氏一門の専横と悪政の為天下乱れ、人心ようやく鎌倉幕府から離れんとしたので、後醍醐天皇は、政権を朝廷に挽回するはこの時なりと、諸国の忠臣に討幕の御沙汰を下し給うた。
これを知った執権北条高時は大いに驚き、大軍を京都に送ったので、元弘元年(1331)天皇は難を避けて笠置山(現在の京都府相楽郡笠置町)に行幸遊ばされ天嶮の城砦に御立て籠もられた。
即ち笠置山御遷幸である。
この時、畏くも天皇の御夢枕に現れ神示によって召し出されたのが河内国金剛山麓に在った楠木正成である。
正成は御旨をつつしみ、急遽行在所に馳せ参じ有り難き聖旨を賜った。
この時正成は「賊軍如何に強くとも、謀(はかりごと)を以ってせば、差のみ難事には候はず、万一我が軍勢敗れることあるも、正成唯一人残れりと聞きし召されば、聖慮を悩まし給うまじ」と言上すれば、帝は深くその忠節を嘉(よみ)し給う。
ここに於いて、一死を以って君国に報せんと神明に誓い、正成直ちに帰国し赤坂に城を築き、天皇を迎え奉らんと計ったが、時至らずして笠置山は賊徒のために陥落してしまった。
大忠臣楠木正成の活躍はこれから幕が切って落とされるのである。
楠木正成、鳳輦(ほうれん)を迎えるの図
楠木正成
皇居前の 楠木正成公銅像