母が残していた、古い今治周辺の絵葉書です・・・
①大浜灯台より大島を望む
②菅公(菅原道実)衣干岩
③桜花爛漫の吹揚公園
【感状】 (感謝状)
野中支隊 歩兵第22連隊 第3大隊(第9中隊缺)、同・第1第2中隊、同・機関銃1小隊、同・特殊砲隊大正8年12月末、兵力約1500乃至2000を算する過軍(過激派軍)は「ムホルシビール」「マレータ」「クナレ」の各地に集団して所在、我が軍及び交通線を脅威するのみならず「トルバカタイ」以西「ウェルフネウジンスク」以東に於ける鉄道線路の被害殊に甚しきを以って、野中支隊に之が掃蕩を命ぜられ、大正9年1月2日支隊は「ペトロスキー」を発し各地に転戦すること十有五日、此の間「ニコリスコエ」に約400の敵を撃破したるを始めとし「ハラシビール」「ヒローク」河谷等に於いて、常に優勢にして頑強なる敵を掃蕩し、殊に1月12日早暁「ノーウォザルダミンスコエ」付近の戦闘の如きは、約3000の過軍の包囲攻撃を受け激戦数時間に昇りたるも、将卒克く堅忍持久遂に天明と共に猛烈なる逆襲を敢行して敵を潰乱に陥らしめ、敵の戦場に遺棄したる死体約530を算し真に懺滅的打撃を与えたるものと謂うべし、如此にして全討伐期間敵と交戦すること前後5回、敵の屍すこと実に730、我が損害は頗る僅少にして、而も連日連夜殆んど不眠不休零点下50度の厳寒と戦い一百余里に昇る積雪深き広野山嶺を踏破し、幾多の困苦欠乏に耐え、上下一致身命を擲って勇戦奮闘し、終始光輝ある戦勝を得て過軍を震骸せしめたるは、一に支隊長の適切にして周密なる画策と部下将卒の忠勇義烈なる赤誠の発露にして、其の功績洵に偉大成るものと認む、依って茲に感状を附与す。 (句読点なしの一文である)大正9年2月20日浦潮(ウラジオストック)派遣軍司令官 陸軍大将 (従三位、勲一等、功三級) 大井 成元
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965678.html
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965679.html第33話の⑦●病院船「ぶえのすあいれす丸」の轟沈絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966281.html
第33話の⑧●病院船「ぶえのすあいれす丸」轟沈後の漂流者絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966282.html第33話の➀ 善通寺陸軍病院の父 http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965678.html
第33話の⓶ 善通寺陸軍病院の父 http://y294ma.livedoor.blog/archives/17965679.html
第33話の⓷ (参考)病院船「ぶえのすあいれす丸」の沈没・・
第33話の⑥ 父の部隊が城子溝(満州)からラバウルへ移動したルート・・
第33話の⑦●病院船「ぶえのすあいれす丸」の轟沈絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966281.html
第33話の⑧●病院船「ぶえのすあいれす丸」轟沈後の漂流者絵図・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966282.html
●第33話の⑨・・父、泰山がラバウルから帰還した時の顛末・・・
http://y294ma.livedoor.blog/archives/17966013.html
●第33話の⑩・・父、泰山から祖母浦子への軍事郵便全記録・・・満州東寧から、ラバウルから・・